Thursday, December 18, 2008
Saturday, September 06, 2008
川内倫子展 Cui Cui[キュイキュイ]
ヴァンジ彫刻庭園美術館で川内倫子展 Cui Cui[キュイキュイ]を観る。川内さんの展示は、2003年ROCKETでの「blue」、2006年の現代美術館での"カルティエ現代美術財団コレクション展"で観た。彼女の作品は、どこか、とても悲しく切ないもの。とても重い。ところで、クレマティスの丘はとても閉鎖的な場所だった。あまりにもきれい過ぎて不自然。ここにあるミュージアムショップで観た野口里佳の写真集は、この空間になんだかとてもマッチしていて、どこか異次元にきた気分になった。
Friday, August 15, 2008
Tuesday, July 15, 2008
Thursday, June 12, 2008
現実
「そこにあった」というどうしても逃れられない大前提のもとにあった写真。そこにあったという一貫した事実のもとに表現されているもの。その大前提の原点として、様々な方法で表現されてきたこれまでの写真。そこにあった事実をそのまま写すことや、はたまた、そこにあったものとはかけ離れたものとして残すこと。いずれにせよ、そこにあったという前提はどうにも変えることはできない。その大前提に縛られ続け、様々なことが行われてきた。
一方、技術の発展により、そこにあったという大前提が全く持ってなくなってしまった時代は、現実とは一切無関係のものにもなることができるようになった。これまで縛られてきたものから解放された写真は、これまでの写真の見方を大きく違うものにした。そこにあってなくてもどうでもよい。そこにあったという大前提を保証するものは皆無となり、現時点では、なにもそこにあったという保証がなくなった。つまり、思い出や記録なども全く持って信用できる過去の事実の痕跡さえもなくなってしまったということである。
ただ、これまでの狭義の写真概念に対する思い入れというものは消えず、そこにあったという大前提を無意識のうちに秘めている。なにを信用すればよいのか全く分からないながらも、希望的な思いは消えない。かといってその思いを保証するものは何も無い。
そこをうまく騙す、つまり、そこにあったという大前提と、そんなものなど現実には存在しなかったという、二律背反が鬩ぎあうこと、騙しあい続け、疑い続け、途方もない当ての無い、何も生み出さない感情を弄ぶものに変貌した、この時代の写真が生まれた。
これからの時代、現実というものがとても不安定なものになり、イメージとの境界線がなくなる。でも人々はつねにその境界線を探す。探すことでほっとして、安心してそれを受け入れることが出来る。つまり、イメージ過多の時代だからこそ、事実を求めたくなる。でも写真はその感情を弄ぶことが出来るのだ。
これまでの写真は、現実をもとに嘘をつくり続けてきて、その曖昧さを楽しんできた。そこにあったという大前提があるからこそ、嘘でも安心して受け入れられることができる。ただ、これからは違う。その大前提がなくなってしまうことで、何一つ信用ができなくなる。誰しもが途方に暮れてしまう。写真で人を騙し続け、混乱させる。これ以上現代人に不安なものを与えるものはない。つまり、全く持って普通なもの、一切の疑いがないものも、実は全くの嘘だったという事実を突きつけることがこれからの写真には可能になる。
本当は現実としてそこにあった、がしかし嘘をつこうとしていた写真が、嘘でもなんでもなく、ただのイメージに過ぎないこれからの時代。
一方、技術の発展により、そこにあったという大前提が全く持ってなくなってしまった時代は、現実とは一切無関係のものにもなることができるようになった。これまで縛られてきたものから解放された写真は、これまでの写真の見方を大きく違うものにした。そこにあってなくてもどうでもよい。そこにあったという大前提を保証するものは皆無となり、現時点では、なにもそこにあったという保証がなくなった。つまり、思い出や記録なども全く持って信用できる過去の事実の痕跡さえもなくなってしまったということである。
ただ、これまでの狭義の写真概念に対する思い入れというものは消えず、そこにあったという大前提を無意識のうちに秘めている。なにを信用すればよいのか全く分からないながらも、希望的な思いは消えない。かといってその思いを保証するものは何も無い。
そこをうまく騙す、つまり、そこにあったという大前提と、そんなものなど現実には存在しなかったという、二律背反が鬩ぎあうこと、騙しあい続け、疑い続け、途方もない当ての無い、何も生み出さない感情を弄ぶものに変貌した、この時代の写真が生まれた。
これからの時代、現実というものがとても不安定なものになり、イメージとの境界線がなくなる。でも人々はつねにその境界線を探す。探すことでほっとして、安心してそれを受け入れることが出来る。つまり、イメージ過多の時代だからこそ、事実を求めたくなる。でも写真はその感情を弄ぶことが出来るのだ。
これまでの写真は、現実をもとに嘘をつくり続けてきて、その曖昧さを楽しんできた。そこにあったという大前提があるからこそ、嘘でも安心して受け入れられることができる。ただ、これからは違う。その大前提がなくなってしまうことで、何一つ信用ができなくなる。誰しもが途方に暮れてしまう。写真で人を騙し続け、混乱させる。これ以上現代人に不安なものを与えるものはない。つまり、全く持って普通なもの、一切の疑いがないものも、実は全くの嘘だったという事実を突きつけることがこれからの写真には可能になる。
本当は現実としてそこにあった、がしかし嘘をつこうとしていた写真が、嘘でもなんでもなく、ただのイメージに過ぎないこれからの時代。
Sunday, June 01, 2008
今日も中止
Freedom Sunsetは今日も中止。今度は八月か。先々週、Natural High!に行った。しかし、そんな余韻などすぐになくなる。来週はTaico clubに行くことにした。夜はとても寒そうだ。踊っているひとをストロボつけてガシャンと撮りたい、67で。でも実際にその場に居ると、その場を楽しみたくって撮ることなんてどうでもよくなる。結局そんなもので、撮りたいものと、撮られるものとは違う。撮れるようになるときに撮ればいいか。そもそも撮りたいものなど何も無い。
ロラン・バルト『明るい部屋』を読む。よくわからない。二度目を読んでいる。他人の主観に共感できるかどうかが、善し悪しなのか。共感でなくてもそれを認めるかどうかが問題なのか。分からない。
一緒に働いていた同期が辞めることになる。会計士になるべく勉強をするらしい。
ロラン・バルト『明るい部屋』を読む。よくわからない。二度目を読んでいる。他人の主観に共感できるかどうかが、善し悪しなのか。共感でなくてもそれを認めるかどうかが問題なのか。分からない。
一緒に働いていた同期が辞めることになる。会計士になるべく勉強をするらしい。
Thursday, May 15, 2008
Monday, April 14, 2008
サッド ヴァケイション
シュラフを水道橋に観に行く。ちょっとした基礎知識を得る。でも、気に入ったものが見つからなかった。
その後、サッド ヴァケイションを観る。平和、というか平凡な家庭とは異なる環境で暮らしているという前提があることで、それは普遍的な意味をなさなくなってしまうのかと思いきや、そんなことはないのかなと思う。誰もが持っているある要素を極端に増幅しているものなのかもしれない。
その後、サッド ヴァケイションを観る。平和、というか平凡な家庭とは異なる環境で暮らしているという前提があることで、それは普遍的な意味をなさなくなってしまうのかと思いきや、そんなことはないのかなと思う。誰もが持っているある要素を極端に増幅しているものなのかもしれない。
Sunday, April 13, 2008
清野賀子「a good day, good time」
Gallery traxへ、清野賀子「a good day, good time」を観に行く。女性があまり被写体にしないものに対し、ただ写すというシンプルな印象を受けた。丁寧に、そしてそこにあるものを撮ることにだけ集中しているような感じ。表現に男も女も関係なく、世界に対する一貫した視点。

久しぶりに訪れたtrax。ここは時間の流れがゆっくり。

そして悦子さんのとても素晴らしいおもてなし。
いまでもまだお腹いっぱいなほど食べた。

久しぶりに訪れたtrax。ここは時間の流れがゆっくり。

そして悦子さんのとても素晴らしいおもてなし。
いまでもまだお腹いっぱいなほど食べた。
Friday, April 11, 2008
Wolfgang Tillmans "Lichter"
久しぶりにティルマンスのオリジナルプリントを見る。印画紙がそのままとかミニマムかつ抽象的なものが多く感じた。そして、やはりスナップがとてもきれいだ。他とは大きく違う何かがそこにはあるのだけど、何が他との違いをつくっているのかは、分からない。ティルマンス本人の持つ流れと、彼の撮るものがリンクしている。それはとてもとても私的な世界なのかもしれない。かといって、そこに感情は感じられない。何もないけれど、彼の捉えたものがそこにあり、“偶然”にも多くの人もそれに気づかされているのかもしれない。
Tuesday, April 08, 2008
FESTIVAL TRIP
一年ほど前に購入した雑誌FESTIVAL TRIPを持ち、行き、帰りの電車で読む。トルコでの皆既日食の記事をきちんと読む。2009年皆既日食のパーティーが屋久島でやる(実際は奄美周辺)、というのを聞いたのは2004年のタイ。それがもう来年。一度は皆既日食を経験したい。皆既日食を経験すれば、「次」への切り替わりができるような気がする。建前でもなんでもいいのだけど、なんかしらのきっかけにでもなれば、と思う。働いて三年ちょっとになるわけだし、そう考えると随分といいタイミングかもしれない。けれどこの半年をもう一度繰り返す気にもなれない。いま、丸の内周辺ではアート祭り状態のようだが、状況がいまいちつかめない。それほど、興味がないということなのかもしれない。
Sunday, April 06, 2008
ダージリン急行
渋谷駅から代々木公園へ行く。桜がちらほら咲いていて、花見をしている人がたくさん居た。そこから表参道へ。店をいろいろまわり、ロータスカフェへ。映画を観たく、マイブルーベリーナイツを見ようと思ったが、A.P.C.でダージリン急行のポスターを見て、恵比寿へ行った。
ほぼインドロケ?だったようでとても大変そうだ。ダージリン急行列車はじめ、とてもカラフルだった。ロータスカフェの壁がピンクだったように、青の電車や、青の壁の民家など、壁の色がその世界感に大きく影響を与えている。雰囲気のよい映画だった。
予告であったパラノイドパークが気になった。
*
うごいてしゃべるHiromixを初めて見た。前回の「正直しんどい」に出ていたと聞いて、Youtubeで見つけた。もっとチャキチャキした感じの方だと思っていたら、落ち着いた感じ。
ほぼインドロケ?だったようでとても大変そうだ。ダージリン急行列車はじめ、とてもカラフルだった。ロータスカフェの壁がピンクだったように、青の電車や、青の壁の民家など、壁の色がその世界感に大きく影響を与えている。雰囲気のよい映画だった。
予告であったパラノイドパークが気になった。
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うごいてしゃべるHiromixを初めて見た。前回の「正直しんどい」に出ていたと聞いて、Youtubeで見つけた。もっとチャキチャキした感じの方だと思っていたら、落ち着いた感じ。
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